キクチです。
前回、
「歯が痛いよ~」とか、
「手術怖いよ~」とかやっていたら、祖母が死んだ。91歳でもって。
前々回に書いたけど、
「拾って来たヒヨコに、ゆで卵の黄身を食わせて殺した」りしていた、父方の祖母が、である。
朝、目を覚ますと携帯のルス電に、
「おばあちゃんが亡くなった」
と母親からのメッセージが。
それを聞いて「なるほど」と僕は思う。
特にそれ以上のことは何も思わない。
漠然と、《どのタイミングで、自分はこのことを悲しく思い始めるんだろうなあ》などと、考えつつ。
とにかく、最初に聞いたときには、「なるほど」としか思わなかった。
それは実に、透明で爽やかな「なるほど」だったと思う。
何の情報も、示唆も、ストーリー性もない、
デタラメな数字の羅列のような、「なるほど」だった。カッコ良く言うと。
折り返し母親に電話すると、明日葬式をやるから、朝早くに実家へ帰って来いとのこと。
通夜とかはやんないのかよ、と思ったが、全然そういったことの段取りに明るくないので、言われた通りに。
その日、仕事場へ出勤し、周りの人間に、「祖母が亡くなったので、明日休みます」と告げる。
「それはご愁傷様」と言われる。
「どういたしまして」とプラスチックに答える。
まだ全然悲しくなかった。
むしろ遠足前の少し浮き足立った感じがして、
不謹慎極まりなかった。
さて、翌日。
十時頃、父親の運転する車に乗せられて、京都の田舎を目指す。
車内で父親と母親に、祖母の死因なんかを聞いてみると、
「ん~、確か、裕次郎とおなじやつ」
という答えが返って来た。
全然ピンとこねーよ。
自分の両親ながら、生まれた、そして育った時代の違いをかみ締める。
祖母は91歳で死んだらしい。
91歳というものは、よく分からないけど、まずまずの年齢だと思う。
もちろん、死ぬのには、という意味で。
葬式自体は、どうってことのない葬式だったと思う。
100人いて、98人が頭に思い浮かべる葬式、といった感じだった。
ただ、これまでろくすっぽ会ったことのなかった父方の親戚に取り囲まれたのには、閉口した。
僕の心の中の奥にしまい込んでいる「赤井英和」のつまみをフル・ヴォリュームにするも、どうもいけない。
テレくさいやら、気まずいやら。
生まれて初めて、焼かれた人間の骨というものを見たけど、思っていたのより真っ白だった。
菜箸みたいなので何個かつまんで、骨壷の中に入れたら、カツン、と乾いた音がして、とてもじゃないけど、それがかつて、
僕に向かって手の平を広げてみせ、「ここから神様の光が出るんよ」と説明していた人と同じものとは思えない。
小さい瓶2つに、それぞれバナナの切り身を入れて、
「こっちのバナナは白くてきれいなまま、でも、こっちのは黒く腐ってる。同じ時に瓶に入れたんよ。何でこんなに違うんやろ? それはね、こっちには毎日神様の光を当てて、こっちはそのままほっといたからからなんよ」
と説明していた人と同じものとは思えない。
1000℃近くの火で焼かれた後の人間の体は、とてもじゃないけど、僕には人間の体には見えなかった。
「その点についてはどう思われますか、神様?」
と、かつて祖母と共にあった神様に聞いてみたくもあるが、
残念、僕にはそれは未だよく見えなくもあるものなのだ。カッコ良く言えば。
トイレに行った。
骨壷に骨を入れ終わった後、施設のトイレの個室に入った。
昨夜から、一回も大きいのをしてない。
帰りの車の中でしたくなっても困る。
便器に跨ると、ウォシュレットが付いている。
僕はウォシュレットが苦手だ。
お尻が水浸しになる感覚が、どうも落ち着かない。
だけど、その時は、「よしやってみるか」という気になった。
「この際だし」と。
何がこの際なのか、さっぱり分からない。
でも、ボタンを押して、柔らかい温水をお尻にあてがう。
キモチいい。
存外、キモチいい。
何だって今まで自分は、こんなにもキモチのいいものをスルーし続けたんだろう?
と、自分に「このバカ!」と怒鳴りつけかねない勢いで、キモチよくなった。
(虹だ!今、俺は虹に跨ってる!)
そんな気分だった。
すると、とたんに、悲しくなった。
自分でも、(おいおい)と思いつつも、(何だよこのタイミング)と思いつつも、
止められない。
そのタイミングで、僕はそのことを悲しく思い始めた。
自分が今、ウォシュレットの心地良さを「虹」に例えていたすぐ横で、ついさっきあの人は91年分の骨を焼かれたばかりなのだと思うと、
無性に悲しかった。
でも、キモチ良かった。
悲しキモチ良かった。
どっちでもあった。
そうやって人は死ぬんだなって、そんな風にも思った。
ちょっと出来すぎた話で恐縮だが、仕方がない。
「人はいつか死ぬ」なんて話がそもそも、出来すぎた話なのだし。
帰りの車の中で、後ろの荷台に乱暴に置かれた、祖母の遺影が、
カーブを曲がるたびに、右へ左へ滑っていた。
もう一度確認しておきたい。
祖母は91歳で死んだらしい。
91歳というものは、よく分からないけど、まずまずの年齢だと思う。
もちろん、死ぬのには、という意味で。